2016/05/04

【本】倉敷の美観をつくった男とは? 『天皇に選ばれた建築家 薬師寺主計』著者・上田恭嗣氏に聞く


 著者と薬師寺主計(かずえ)の出会いは、赴任先の岡山で見た中国銀行本店のアール・デコ様式による内部空間を見た時から始まる。「岡山にこんなすばらしいものがあることが驚きだった」と専門だった病院建築の計画学から歴史意匠の分野に方向転換するきっかけとなった。「地方の建築文化を支えてきた建築家はあまり評価されてこなかった」と地方に埋もれた建築家の研究を使命とし本書を執筆するに至った。

 大正から昭和初期にかけて活躍した薬師寺主計(1884-1965)という建築家は、東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、陸軍省に入省し、在職中の欧米建築視察で若きル・コルビュジエを日本人の建築家として初めて見出している。また、同省では初めて天皇の建築技師となり、関東大震災後の陸軍施設復興の最高責任者として活躍するなど中央でも多くの実績を残している。
 薬師寺の業績を語る上で大原財閥を築いた大原孫三郎の存在は欠かせない。倉敷紡績(現クラボウ)、倉敷絹織(現クラレ)、中国水力電気(中国電力の前身)などの社長を務めながら、地域の文化・福祉の向上に大きな足跡を残した人物だ。
 倉敷の街並みについて著者は「現在の美観地区は、もともと旧市街地だった。民間の大きな力で成し遂げたまちづくりであり、その功績は大きい」と大原の活動に賛辞を送る。その思想は二代目の總一郎や現在の謙一郎氏にも受け継がれ「今日の倉敷があるのは大原家三代の歴史があるからと言っても過言ではない」
 本書には、孫三郎に請われ、郷里の岡山に戻ってきた薬師寺の業績の数々が収められ、倉敷絹織本社工場の近代的かつ人道的な建築群、アール・デコを大胆に用いた中国銀行本店をはじめ、倉敷を代表する有隣荘、大原美術館などの近代建築群をつくり上げた「とてつもない人物である」ことを解明している。

著者の上田恭嗣氏(ノートルダム清心女子大学人間生活学部人間生活学科教授)

 地方のみならず、中央でも華々しい活躍をした薬師寺の軌跡を「知れば知るほど、こんなすごい人が表舞台に出てこなかったことが不思議でならなかった」と著者は振り返る。本書では戦後の建築教育について「機能的で効率的な建築のあり方が第一に求められ、そこに向けて突き進んできた。そのため、昭和の戦争に向かう時代の建築物の評価・功績などに関する研究は遠ざけられてきた嫌いがある」とつづっている。戦争という特異な時代の中に埋もれた建築家の活動・業績にスポットを当て「地方に眠る特色ある建築活動にも目を向けるきっかけになればうれしい」。本書にはそんな願いが込められている。

◆稀代のの建築家の生き様
 ル・コルビュジエの真髄を取り入れて天皇の建築技師となり、日本で最初にアール・デコを表現した異色の建築家・薬師寺主計。郷里の岡山では、美観地区などで知られる倉敷市で今日の街並みの礎を築くなど地方のまちづくりに尽力した。陸軍省時代に中央でも多くの建築を手がけた稀代の建築家は、太平洋戦争という時代背景の中で、なぜ歴史に埋もれてしまったのか。本書は、若きル・コルビュジエを見いだし、最先端のアール・デコ様式をパリと同時期に表現し、地方の建築文化を生み出した人間味あふれる薬師寺の生き様を明らかにしている。藤森照信氏推薦の書。
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