関電工の上原誠さん(東京営業本部東京総支社西部支社施工チーム内線作業長)が、第55次南極地域観測隊越冬隊の任務を終え、無事帰国した。3回目の南極にして、昭和基地内の設備設営や保守管理を束ねる設営主任の立場で初参加。53、54次で船の接岸ができず基地内の備蓄が減り、それに伴い派遣隊員も24人と必要最小限だった中、「通常は2人で進める作業を1人でこなし苦労もしたが、他分野の隊員との調整からは刺激も受けた」と充実した日々を振り返った。3回の派遣は同社で2人目。前人未踏の4回目となる派遣にも意欲をみせた。
第55次の派遣期間は2013年11月からことし3月までの1年4カ月で、大気を観測する大型レーダー「PANSY(パンジー)」の運用開始や海洋や山地での観測などが主な任務。上原さんはPANSY運用のための発電機設置のほか、ウェブカメラや無線LANのケーブル設置、昭和基地の汚水処理棟、し尿処理棟の整備、冷凍庫・冷蔵庫の更新などに関する作業に携わった。
2次連続で船が接岸できなかったのは過去に1度しかない非常事態で、物資の消費を抑えるために削減された隊員数も第8次以来の規模という過酷な条件だった。こうした中で務めた自身初の設営主任は、「設営として、機械のチームやエンジン・ボイラーに関するチームをまとめつつ、調理、医療など別分野との調整もこなす。まず何をやるのか考えてから調整し、一致団結できるようにする必要があった」という重責だった。
さらに、通常は電気設備と計装設備の隊員2人がいるところを今回は1人で賄い「電気に関する作業はすべて担当した」。設備の故障が重なり昼夜を問わず作業することもあったほか、2人いれば手分けできる送電確認も1人で進めるなど、作業の苦労は多かったという。
それでも「自分の能力を発揮しやすく、周囲の隊員に頼りにされやすいところも魅力」と、自らの作業が隊員に喜ばれるのを直接感じられる点はやりがいになったと笑う。他分野との調整も「自分のフィールドで応用できないか考えるなど、刺激を受けた」と主任業務も次第に板に付いた。
こうした活動が認められ、上原さんと同社は、隊員の派遣元である情報・システム研究機構国立極地研究所から南極地域観測事業表彰を受けた。個人表彰を受けるのは、同社では上原さんが2人目。
3回目の南極を終えた上原さんは「やり遂げた思いになるよりは、次はこうしたいと考えてしまう」と、4回目にも思いをはせた。
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第55次の派遣期間は2013年11月からことし3月までの1年4カ月で、大気を観測する大型レーダー「PANSY(パンジー)」の運用開始や海洋や山地での観測などが主な任務。上原さんはPANSY運用のための発電機設置のほか、ウェブカメラや無線LANのケーブル設置、昭和基地の汚水処理棟、し尿処理棟の整備、冷凍庫・冷蔵庫の更新などに関する作業に携わった。
2次連続で船が接岸できなかったのは過去に1度しかない非常事態で、物資の消費を抑えるために削減された隊員数も第8次以来の規模という過酷な条件だった。こうした中で務めた自身初の設営主任は、「設営として、機械のチームやエンジン・ボイラーに関するチームをまとめつつ、調理、医療など別分野との調整もこなす。まず何をやるのか考えてから調整し、一致団結できるようにする必要があった」という重責だった。
さらに、通常は電気設備と計装設備の隊員2人がいるところを今回は1人で賄い「電気に関する作業はすべて担当した」。設備の故障が重なり昼夜を問わず作業することもあったほか、2人いれば手分けできる送電確認も1人で進めるなど、作業の苦労は多かったという。
それでも「自分の能力を発揮しやすく、周囲の隊員に頼りにされやすいところも魅力」と、自らの作業が隊員に喜ばれるのを直接感じられる点はやりがいになったと笑う。他分野との調整も「自分のフィールドで応用できないか考えるなど、刺激を受けた」と主任業務も次第に板に付いた。
こうした活動が認められ、上原さんと同社は、隊員の派遣元である情報・システム研究機構国立極地研究所から南極地域観測事業表彰を受けた。個人表彰を受けるのは、同社では上原さんが2人目。
3回目の南極を終えた上原さんは「やり遂げた思いになるよりは、次はこうしたいと考えてしまう」と、4回目にも思いをはせた。
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