2014/12/09

【復興特別版】騎馬に導かれ“希望のみち”開通! 常磐道浪江~南相馬ICと相馬~山元IC

東日本高速道路東北支社が建設を進めている常磐自動車道の浪江IC(インターチェンジ)~南相馬IC間(18.4㎞)と相馬IC~山元IC間(23.3㎞)が、6日に開通した。残る常磐富岡IC~浪江IC間(約14.3㎞)は、2015年3月1日の供用開始を目指しており、太平洋沿いに首都圏と仙台を結ぶ常磐道352㌔がいよいよ全線開通を迎えることになる。3区間はいずれも11年3月の震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴い工事の一時中断を余儀なくされた。見えない放射能リスクとの闘いに加え、労務不足や資材調達などのリスク対応にも迫られた建設現場での震災以降の取り組みを振り返る。写真は開通式典で通り初めをする野馬追いの騎馬。

 埼玉から千葉、茨城、福島、宮城の太平洋沿岸各県を通過する常磐道は、内陸の東北縦貫道とダブルネットワークを形成することで、災害時や降雪など悪天候時のリダンダンシー効果が期待されている。

当初は14年度の全線開通を目指していたが、原発事故で福島県双葉郡周辺の工事区間への立ち入りが制限され、福島第一原発から半径20㌔圏外は発災から約3カ月後、浪江~南相馬IC間は約1年後、常磐富岡~浪江IC間は約2年後にようやく工事を再開できた。
 工事中だった盛土や構造物は、地震による損傷に加え、長期間放置されたことで、雨水などにより被害が拡大。山積する課題を創意工夫と熱意で乗り越えながら、こうした構造物などの復旧作業を急ピッチで進め、当初予定から大きく遅れることなく開通にこぎ着けた。
 どの区間も被災地の災害復旧や除染の本格化に伴い、全ての工種で作業員が不足した。東北以外の地域からも手当したが、放射線の影響に対する懸念もあって、現場からの離脱が相次ぐなど、継続的な作業にも困難を来した。
 特に帰還困難区域は、立入時間の制限、被ばく管理や汚染検査などの管理・検査手続きの手間により作業効率が低下。放射能の影響を恐れて資機材の搬入が拒否されることもあり、施工者自ら引き取りに行くこともあった。
 また、生コンクリートの供給量が不足する中、最も工事再開が遅れた羽黒川橋工事(施工=IHIインフラシステム)では打設日をプラントと調整して確定。雨天による打設延期を回避するため、エアドームや単管パイプなどの仮設屋根の下で打設した。
 舗装用の砕石は、静岡県富士宮市や三重県鳥羽市などから船舶で相馬港に運搬した。沿線住民の了解を得て、運搬時間を延長し、通常よりも長い作業時間を確保。常磐富岡IC~広野IC間の舗装は大林道路が仮設プラントを増設することで、アスファルトの供給量を確保し、工期短縮に努めている。
 また、警戒区域内では環境省直轄のモデル事業として大成建設が現場を除染し、放射線量を低減させた。作業員らの放射線被ばく管理を一元的に実施するとともに、現場の空間線量の見える化や作業員宿舎の増設など、労働環境の整備にも万全を期した。
 来春の全線開通に伴い、復興の加速化に弾みが付くとともに、観光や交流の活発化がより一層進むことが期待される。仙台市~いわき市間の高速道路による移動距離は約145㎞となり、東北道と常磐道を経由する現在の約190㌔から大幅に短縮する。
 さらに宮城・福島県境で運休が続くJR常磐線を代行する高速バスの速度向上と定時性の確保が見込まれ、仙台都市圏と双相地域との交流の活発化、救命率の限界と言われる3次救急医療施設60分圏域の拡大と、搬送時間そのものの短縮も見込まれる。

山元IC本線車道上でのテープカット
6日、宮城県山元町大平の山元IC本線車道上で開かれた開通式には、内堀雅雄福島県知事と村井嘉浩宮城県知事、廣瀬博東日本高速道路会社社長ら関係者約360人が出席。テープカットと同時に、くす玉が開披され、関係者による通り初めが行われた。

地元企業の車両による通り初め
席上、内堀知事は「被災地の未来を開く“希望のみち”として1日も早く全線開通させてほしい」とあいさつ。村井知事も「東日本の産業・経済の発展と復興の加速化に期待したい」と述べた。廣瀬社長は、3月1日の全線開通を目指すと表明した安倍晋三首相の発言を受け、「鋭意工事を促進し、全通に向け全力を挙げて取り組んでいく決意だ」と力を込めた。
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