2015/07/12

【日本の土木遺産】箱根旧街道の石畳改築(小田原市~三島市) 旅人の足守る1億円超事業

江戸時代、東海道随一の難所「箱根の山は天下の険」とうたわれた小田原宿から三島宿までの約32㎞(八里)が箱根旧街道であり、風情ある石畳道となっている。
 石畳の一部は静岡県三島市の箱根山中にあり、市の石畳整備事業により願合寺(がんごうじ)・腰巻(こしまき)・浅間平(せんげんだいら)・上長坂(かみながさか)・笹原(ささはら)の5地区計約2㎞が保存され、2004年には国指定の史跡とされた。(写真:筆者)

 石畳道には凹凸があり、多少の歩きづらさがある。また、急勾配が多く、峠越えの大変さが分かる。旧街道だからか、現在の国道1号と随所で交差、併走している。
 江戸時代初期の箱根越えの坂道は、雨が降ればすねまで泥に潜ってしまうような悪路で、ここを通る旅人は非常に苦労をしていた。
 滑りやすい関東ローム層の赤土の坂道は、旅人を相当苦しめた。幕府にとっては、箱根の山は西国の大名に対する天然の要塞となることから、江戸初期には険しい方が望ましい構造であった。
 しかし、政情が安定して人馬の往来が盛んになると、幕府は街道の整備に力を入れ始めた。1604(慶長9)年には、江戸日本橋を起点とした一里塚の設置や並木の整備に着手するなどして、徐々に街道の体裁が整えられた。箱根旧街道にも、錦田、笹原、山中の3つの一里塚が現在も保存されている。1624(寛永元)年には庄野宿(現在の三重県鈴鹿市)が設置され、東海道の53の宿場が全て完成した。
 東海道の平坦部の道は、路面を平らにして砂利や砂で突き固められていただけであった。しかしながら、急峻な山地に位置している箱根街道は、極寒期の気温はマイナス10度を下回り、積雪が多く、さらに四季を通じて雨の日が多く、頻発する濃霧は旅人の視界を著しく妨げた。
 そのため、当初は街道に箱根竹を敷く手法が用いられた。しかし、竹は腐ってしまうので敷替えが必要となる。これには、約3000の人足と2万束近くの竹が必要で、年間の維持管理費は120-130両(概ね100両が現在の1億円)にも達した。
 人足は、箱根街道沿いの村々が「助郷(すけごう)」として駆り出された。維持管理費用は、二重課役を避ける意味で、助郷に招集されない奥伊豆(現在の三島以南の伊豆半島)の村々が捻出していた。奥伊豆の人々にはこの負担が非常に重かったようである。
 その後幕府は、1680(延宝8)年に抜本的な改革を目的として、1400両余りをかけて石敷きの石畳構造に改築した。建設費のほとんどは、奥伊豆の村々が「石道金」として毎年100両を10年間払い続けることとなった。
 石畳の敷設の方法は、敷いていた古竹を取り除き、約30cm掘り下げ大栗石を入れて基礎(路床)とした上に、砂利を30cm入れて突き固めた。坂の途中には砂利止めを設けた。そして、道の両側には縁石として約30cmの石を、内側には24-27cmの石を据え「石畳」とした。
 表面の石は四角形か五角形のものが各辺を合わせるように並べられ、路肩側の石は中心部のものより大きなものが使われて、その端部は直線状になっている。最も外側には栗石が敷かれ排水路の役割を果たしている。
 石畳の石材には安山岩が利用された。この石は、街道周辺の沢から容易に調達が可能であった。また安山岩は、簡単に板のように割れる特性があることから、平らな面が大きく、石畳の石材とした場合に歩きやすい効果をもたらした。
 さらに、石畳には小型の石材が敷かれている個所がある。急な坂道に小型の礫(れき)を敷き詰めることによって石畳上に細かな凹凸をつくり、滑り止めの効果が発揮されていた。
(オリエンタルコンサルタンツ 松金 伸)
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