2015/12/13

【シリーズ戦後70年】地方業界にとって戦後最大の転換点「一般競争入札本格導入」


 建設投資額を80兆円台まで押し上げたバブル景気は、1990(平成2)年3月の大蔵省(現財務省)による「金融機関の不動産業向け融資の総量規制」通達によって引導を渡され、その後、一気にしぼむことになる。しかし一方で、バブルの崩壊以上に深刻な事態が同時進行で起きていた。独禁法違反や収賄事件がたび重なったことによる、指名競争入札から一般競争入札を原則にする公共工事の入札・契約制度の大転換だ。そしてこの一般競争入札本格導入を前提に策定されたのが、95(平成7)年の『建設産業政策大綱』だった。その後、減少の一途をたどる公共事業費と激化する一般競争入札は、地方業界と発注現場にも大きな影響を与えた。

 戦後70年を振り返って、最大の転換点を、94(平成6)年4月からの一般競争入札本格導入を挙げる地方建設業界関係者と発注者は多い。なぜか。
 100年続いた指名競争入札だがそもそも1889(明治22)年に制定された会計法の原則は一般競争入札だった。しかし不良業者参入やダンピング(過度な安値受注)激化などによる品質確保への懸念などもあり1900(明治33)年に指名競争入札が創設され、指名競争入札が一般的な入札形態となっていた。
 指名競争から一般競争に転換することは、発注者の「指名権放棄」と、行政にとって指名することによる「事前規制」から、問題が発覚したときに対応する「事後規制」への転換を意味した。発注者の指名権放棄から派生したさまざまな問題がその後、品質確保の担保や総合評価導入を決定づけた公共工事品質確保促進法(品確法)につながった。

◇発注者は企業評価能力失う
 指名競争時代、公共発注者は本来業務とは別の業務に細心の注意を払っていた。この別の業務を国土交通省のある元技術系職員は、「枝振りの剪定」と例える。地元中小建設業が無理な受注をしないように、技術者の数と経験年数なども配慮しながら、指名してきたと話す。だから、「所管する管内の地元建設業の経営状況や技術者の癖は、その会社の社長と同じくらい知っていた」
 またこんな例もある。指名競争入札があった当時、若手職員として配属された工事事務所で設計図を提出すると、上司に「もう1つ工区を増やせ」とダメ出しされた。「上司は何社に工事を出さなければならないか計算していたんだと思う」と振り返る。
 しかし建設省は95年、「トータルコストで良いものを安く」を目標に掲げた『建設産業政策大綱』を公表、国民に代わって建設生産物を購入する立場を鮮明にした。
 地元建設業界の事情を理解していた発注者は一般競争導入によって、指名競争に必要だった業界事情や個別企業と技術者などの評価を止め、企業や現場での技術者との接点を断った。
 一方、応札する建設業者は減少し続ける公共事業量の先行き見通しも分からない中、総合評価方式が導入されるまでの間、価格だけの熾烈な競争激化に追い込まれていった。実は94年、一般競争導入以外でその後の建設業界にも影響を与えたもう1つの出来事もあった。小選挙区制の導入だ。小選挙区制によって建設業やインフラへの理解促進活動が難しくなったほか、自民党内でも派閥の影響力が低下した。

◇小泉政権下、毎年2兆円削減続く
 バブル崩壊後、政府は財政構造改革路線を鮮明にする。2000年9月、公共工事コスト縮減の新方針を閣議決定、翌01年4月に小泉純一郎政権が発足。公共事業の費用対効果への疑義や公共事業悪玉論を背景にするかのように、政府建設投資は毎年度2兆円以上の減少が続いた。
 公共事業が柱の中心である地方の中小建設業は、一般競争への転換、小選挙区制移行、公共事業批判と身動きが取れない状況の中、経営も悪化の一途をたどっていった。
 そこに浮上したのが、大手ゼネコンが主導した旧来のしきたりからの決別宣言だった。しかしこれは地方業界にとって、単独では受注できない政策的JVの縮小や全国ゼネコンの各地建設業協会からの脱退を意味し、さらに窮地に追い込まれていく。

■1990年-2014年の動き

1990年(平成2年)
3月 地価高騰防止へ金融機関の不動産業向け融資に総量規制。平成3年末で解除
5月 第1回日米建設合意レビュー
12月 建設業許可業者数が5年連続減で50万者台に
1992年(平成4年)
5月 公取委、埼玉土曜会会員企業に独禁法違反で排除勧告
1994年(平成6年)
4月 一般競争入札本格導入
1995年(平成7年)
1月 阪神・淡路大震災
4月 建設省の建設産業政策委員会が「建設産業政策大綱」を策定
1997年(平成9年)
1月 公共工事コスト縮減対策関係閣僚会議発足
12月 建設省、平成10年度から中堅建設業に対象を拡大した企業合併の優遇措置
1998年(平成10年)
6月 日本版金融ビッグバンの柱となる金融4法案成立
平成9年度の実質経済成長率0.7%減と戦後最悪のマイナス
1999年(平成11年)
7月 建設省が建設産業再生プログラムを公表
2001年(平成13年)
1月 中央省庁再編に伴い、建設省、運輸省、国土庁、北海道開発庁を統合し国土交通省発足
2月 国交省が建設産業再編促進策を公表
6月 国交省がグループ経審
2002年(平成14年)
12月 自民品確議連の前身、品質確保向上研究会が「ダンピング受注排除緊急対策」
2003年(平成15年)
6月 自民研究会が発展的解消し品確議連
2004年(平成16年)
5月 自民独禁法調査会、独禁法改正案提出先送りを決定
夏  自民品確議連、品確法案とともに模索していた予定価格上限拘束性撤廃を視野にした会計法改正断念
11月 品確法案を議員立法として提出
2005年(平成17年)
4月 公共工事の品質確保の促進に関する法律(品確法)施行
2006年(平成18年)
1月 改正独禁法施行
2007年(平成19年)
6月 国交省が建設産業政策2007を公表
2010年(平成22年)
3月 建設産業専門団体連合会が建設労働生産性向上に資する12の提言
2011年(平成23年)
3月 東日本大震災
4月 日本建設業団体連合会、日本土木工業協会、建築業協会の3団体が統合し、日本建設業連合会発足
6月 国交省が建設産業の再生と発展のための方策2011を公表
2012年(平成24年)
7月 建設産業の再生と発展のための方策2012
11月 社会保険等未加入対策開始
2013年(平成25年)
6月 建専連が指し値企業との契約を行わないことなど柱に総会決議
2014年(平成26年)
1月 国交省の建設産業活性化会議発足
5月 品確法、建設業法、入契法それぞれを改正したいわゆる「担い手3法」成立

■明日への提言 前東北建設業協会連合会専務理事、日下部啓蔵氏


【すべて一般競争入札はおかしい 政策大綱、結局は「役所防衛」】
 地方建設業界にとって最大の転換点は、政策大綱(1995年)と全面的な一般競争入札導入(96年)だ。少なくともそれ以前は、中小企業育成のためのJV導入など中小建設業への目配りはあった。しかし政策大綱では「良いものを安く」を前面に打ち出したがこれは結局、役所防衛のためだったのではないか。この時から、行政(国土交通省)は中小建設業から目が離れていったと感じる。
 今後は、担い手3法が施行されたのだから、随意契約や指名競争入札などを含め現場にあった入札方式を発注者は考えるべきだ。特にこれから市場が拡大すると見込まれる維持・修繕、補修といったものは一般競争入札になじまない。そもそもすべてが一般競争入札にするという考え方そのものが問題だ。
 本当に地元自治体が災害対応を含め、地元に建設業が必要と考えているなら、地元に限定した発注をもっと鮮明に打ち出すべきだと思う。
 ただ地元も臆病になって、本来必要な橋や道路の4車線化などインフラ要望の声がなくなってきている。もっとインフラ整備要望など本音で声を上げるべきだ。


■明日への提言 熊本県建設業協会の橋口光徳会長

【公共事業費削減が最大の転換点 各企業がそれぞれ考える時期】
 建設業界にとって最大の転換点は、2001年の小泉政権誕生だ。当時の財務大臣(故塩川正十郎氏)は、「公共事業費は高すぎる。事業費を減らしても、量(件数)が出ればいい」と発言。公共事業に対して(事業費を減らす)明確な姿勢に、頭をがーんと殴られたような衝撃を受けた。その後の独禁法大改正や大手ゼネコンの脱談合の取り組みも、公共事業削減という大きな流れの一環ではないかととらえている。
 今後は業界だけでなく個々の企業がどうしていくかを考える時代に入っていると考えている。その前提は人口減少だ。熊本県内の人口は今180万人だが、将来的には140万人まで減少するとの試算が出ている。人口に合わせてインフラ整備が進められるのも間違いない。だから会員各社に人口減に合わせた建設投資に対し、後継者がいない場合は廃業するか企業売却するか、また企業継続の場合は専門特化などさまざまな選択を今から考えてほしいと訴えている。
 熊本県では発注等級の見直しで需給バランス調整をしているが、最後は企業それぞれが今後どうしていくか考える時期に来ていることだけは確かだ。
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