「だれのための建築か」。これは、弁護士で東洋大学教授の大森文彦さんが東京大学建築学科の卒論のテーマを選んだ時の問題意識だ。大森さんは、「この問題意識はいまでも変わらずに持っていて、法律やほかの分野でも、だれのためにあるのかと問う作業は必要だと思います」と述べる。「建築のために法律家として役に立ちたい」と建設会社の技術者から弁護士に転身した時も、この学生の時に抱いた建築の本質論に迫りたいという思いがあった。基本的には私的である建築に、大森さんが注目したのは公共建築。「国民の利益に重みを置く公共建築は、だれのものかということを含めて、建築のあり方の重要な一面を示してくれる役割があります」と指摘する。そうした思いから取り上げてもらった建築は、国土交通省官庁営繕部が設計した「国立近現代建築資料館」だ。湯島地方合同庁舎のリニューアル建築で、大森さんにとって実は縁の深い建物でもある。
大森さんに「けんちくのチカラ」の取材を依頼したときに返ってきたのが「取り上げるんだったら公共建築ですね」という答えだった。そこで国土交通省官庁営繕部がかかわった特徴のある建築を選び、現地を見て、その上で日ごろからその重要性を伝えている公共建築のことも語ってもらうことにした。
官庁営繕部が近年設計した大規模な建築から、直近ということで「国立近現代建築資料館」を選んでもらった。同資料館は、国立初の建築アーカイブス施設として話題を呼んだ建物で、設計は2011年。官庁営繕部が本格的に設計をしたのは十数年ぶりだという。
◆司法研修所の時代―まさにここで勉強していた
湯島地方合同庁舎の前身は最高裁判所の司法研修所で、00年に合同庁舎として改修された。このため建築資料館は2度目のリニューアルになる。
今回この建築資料館を取り上げることになって、大森さん本人も驚くほど縁や偶然が重なった。
改修前の資料室。もともとは司法研修所の講堂だった |
「勉強に励んでいた思い出深い場所です。立派な講堂が『資料室』に変わっていて、あの講堂がこれだけうまくリニューアルできたことに、素朴に『すごい』と思います。華美ではないし、質素にうまく収められていて、非常にすっきりした空間だと思いました。かつては官庁の設計者で多くの人が活躍していたのに、最近は少し寂しいなと思っていましたが、『あっ、デザイナーがいる』とうれしくなりました」
改修後の資料室 |
◆コルビュジエと日本政府が交わした契約書
さらに重なった偶然が、見学当日に開催されていた企画展示「ル・コルビュジエ×日本-国立西洋美術館を建てた3人の弟子を中心に」だった。資料室のある展示物の前で、大森さんは1枚の紙にじっと目を凝らしていた。
それは、国立西洋美術館の設計で、コルビュジエと日本政府が交わした契約書だった。
資料に見入る大森さん |
「コルビュジエと日本政府の契約書の原本が展示してあって、とてもびっくりしました。このようなものが見られるとは思いませんでした。自分自身が法律家に転身する『原点』に遭遇したような気がして、感慨深かったですね。というのは、建築の現場で働いていたとき、契約の詳しい意味が分からず、もやもやしていまして、建築を法的にもっと分析できる人間がいてもよいのではないかという思いが転身のきっかけだったからです。建築のために法的な面で世の中の役に立ちたいと考えたんです。建設会社を退職するときの原点を思い出しました」
建築は基本的には私的なものだが、近隣やまちの景観への影響、安全面などで公共的側面がある、と大森さんは指摘する。公共的側面に正面から向き合うのが公共建築だとも述べる。
◆公共建築こそ『だれのための建築か』
改修後のポーチ。左の建物に資料室がある |
「公共建築は、『公共の利益に重きを置いている建物です』ということを伝えるのはなかなか難しいですが、国立近現代建築資料館のような建物を見てもらうなど視覚に直接訴える方法も伝え方の一つとして大切だと思います。例えば、同じピロティ、同じデザインでも、民間と公共では発注者の要求内容が違えば空間の利用のされ方、空間の存在意義も当然違ってきます。この点は、設計の契約論や『だれのための建築か』という問題意識にも通じるものです。この問題意識はいまでもずっと持ち続けています」
大森さんは東京都文京区の出身で、少年時代の記憶に残る風景は「都電」だと言う。
「周りは2階建て程度の建物が多く、いまのバス路線のように縦横に走る都電に目をやると、その後ろの建物越しに空が広がっていました。自宅近くに『17番』の都電が走っていて、それで神保町の中学校に通っていました。同じ都電でその先の有楽町まで遊びにも行っていました。時々電線に凧が引っかかっていたりしてね。よく凧揚げをしていたんです。電線をかいくぐって凧を揚げるのが自慢でもありました」
(おおもり・ふみひこ)1974年東京大学工学部建築学科卒業。現在、弁護士、東洋大学法学部教授、一級建築士。〈委員等〉社会資本整備審議会委員、中央建設工事紛争審査会委員、中央建築士審査会委員、最高裁判所建築関係訴訟委員会委員ほか
〈著書〉『新・建築家の法律学入門』(大成出版社2012年)、『建築工事の瑕疵責任入門』(新版)(大成出版社07年)、『建築の著作権入門』(大成出版社06年)、『建築士の法的責任と注意義務』(新日本法規出版07年)、『建築紛争ハンドブック』(共著)(丸善03年)、『建築関係訴訟の実務』(共著)(新日本法規出版02年)、『民間(旧四会)連合協定工事請負契約約款の解説』(共著)(大成出版社09年)ほか
■建物の概要 関東地方整備局営繕部計画課営繕技術専門官 外崎康弘さんに聞く
外崎康弘さん |
国立近現代建築資料館は、関東財務局東京財務事務所などが入居する湯島地方合同庁舎の別館、新館を大規模リニューアルして2013年5月にオープンした。
11年4月からの設計は、国土交通省関東地方整備局営繕部が担当。4月の時点ではプロポーザルでの選定を探っていたが、オープンまでの期間が短いことから、営繕部職員による内部設計に急きょ変更した。営繕部の本格的なインハウス設計は十数年ぶりのこと。
当時担当したのが関東地方整備局営繕部計画課の外崎康弘営繕技術専門官だ。
「かなりの急展開でした。営繕部への正式委任が4月に入ってからで、設計は実質5月から3カ月間ほどです。工事契約が12年1月で、工事中に、当初の収蔵と研究の機能に加えて、一般公開する『展示』の具体的なイメージが決まりました。それでメーン空間の『資料室』について、資料収蔵用家具をすべて変更するなど、展示・収蔵・研究の3つの機能を境目なく同居させる空間を考えました」。外崎さんはスピード感とフレキシブルな対応を求められた難しい設計をそう振り返る。
◆展示・収蔵・研究の3機能を境目なく
コンセプトは、隣接の岩崎邸との一体感、初の国立建築資料館としての「表情」(デザイン)、最小限の改修で最大限の効果--。最小限の改修は「使えるところと使えないところのジャッジが大変でした」と述べる。資料室は、合同庁舎になる前の最高裁司法研修所講堂だったところ。「天井の荒々しさはそのまま残すなど、既存との取り合いをコストを踏まえて提案させていただきました」。デザインは、内外への木製ルーバーが特徴で、落ち着いた表情で統一されている。
■建築ファイル
▽名称=国立近現代建築資料館(湯島地方合同庁舎改修)
▽建築主=文化庁
▽発注者=国土交通省関東地方整備局営繕部
▽所在地=東京都文京区湯島4-6-15(湯島地方合同庁舎内)
▽オープン=2013年5月
▽構造・規模=別館(資料室)RC造2階建て延べ2753㎡、新館(資料館事務室)S造2階建て延べ366㎡
▽建築設計=関東地方整備局営繕部整備課
▽監理=関東地方整備局東京第一営繕事務所
▽施工=東洋建設(建築)、ヤマト・イズミテクノス(電気)、川崎設備工業(空調・衛生)
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