2015/12/20

【シリーズ戦後70年】国土交通省誕生~品確法、改正独禁法、脱談合の大転換の先は


 脱談合、品確法と改正独禁法という戦後の建設産業界にとって最大の転換点となった3つの契機は、2001(平成13)年に始まった。1月、中央省庁再編に伴い建設省と運輸省などが統合され国土交通省が誕生。4月の小泉政権発足が、3つの契機を事実上決定づけた。当時、金融機関の不良債権処理問題の余波で、上場ゼネコンも相次ぎ破たん、地方建設業界は貸し渋り・貸しはがしに直面した。公共事業削減を鮮明にした小泉政権下で、首相の意向を受け独禁法改正という攻勢に出た公正取引委員会と「高落札率=談合」風潮に対して唯一対抗する手段として品確法は一縷(いちる)の望みだった。

 品確法制定のエンジンとなった自由民主党の「公共工事の品質確保と向上に関する研究会」(99年に発足し03年6月に品確議連へ移行)は02年12月、「公共工事に係るダンピング受注排除緊急対策」を打ち出した。この時、地方建設業界は、不良債権処理のための厳しい査定が迫られていた地方銀行から、貸し渋りと貸しはがし(既存融資の引き上げ)に直面。公共工事市場が減少する中、「受注が融資の担保。だから当座を生き残るため利益も関係なく低価格で応札せざるを得ない」という抜き差しならない事態に陥り、地方業界の危機感は最高潮に達していた。
 だからこそ、自民研究会の緊急対策を受ける形で国土交通省が踏み切った、前払金減額・履行保証引き上げ・技術者増員--というダンピング対策3点セットを、地方業界は「劇薬だからこそ効果がある」と経営がより厳しくなることを承知で歓迎した。

◆公取委の強化、強まる懸念
 小泉政権発足後、公共事業予算削減を容認する風潮に使われた公共事業悪玉論など公共事業批判が相次ぐ中、公取委は03年12月、自民党独禁法調査会(独禁調)で、課徴金の引き上げや加算制度、課徴金減免制度(リーニエンシー)創設などを柱とした考え方を正式表明する。この年の6月、自民も品確議連を立ち上げており、公共調達の入口問題解決へ向けた品確法、出口問題解決の独禁法改正という、2つの取り組みがほぼ同時に開始された。
 この時、日本経済団体連合会の公取委への不信感はすぐにぬぐえないほど高まっていた。2年前の01年10月に公表された公取委の独禁法研究会報告書作成議論に関与した経団連にとって、01年当時の議論で決着したはずの「非裁量性を維持する現行制度上、課徴金の引き上げは無理との見解で合意したから、02年独禁法改正で法人の罰金上限額を1億円から5億円に引き上げることにも合意した」ことが反故にされたからだ。
 戦後の組織設置以来、長らく「吠えない番犬」とも揶揄された公取委に対し、「自らを大きな犬にしか過ぎないと公取委は例えるが今後、狼になるかもしれないし、そのうち虎にもなる」と強い警戒感を示した経団連は、自民独禁調を始め与野党への主張活動を強力に展開する。その結果、04年通常国会への改正独禁法案提出は、当時まだ政府提出法案の事前審査機能が強かった自民の独禁調によって提出先送りが04年5月に決定された。

◆「2007」再編淘汰やむなし
 一方、自民品確議連も、予定価格の上限拘束性撤廃を視野に入れた会計法改正について04年8月、財務省の「総合評価方式も導入されている。会計法を改正するなら改正の合理的説明と現行の総合評価ではだめだという立証が必要」との主張の前に、事実上の断念に追い込まれていた。
 ただ会計法改正断念と引き替えに、自民議連は議員立法による新たな公共調達法制定への理解を得たことで、品確法制定への道筋は固まった。最終的には04年10月、自民独禁調が改正独禁法案を了承した翌日、後を追うように自民品確議連は品確法案の骨子決定と了承にこぎ着けた。その結果、05年通常国会で両法案は相次ぎ成立、品確法は同年4月から、改正独禁法は06年1月にそれぞれ施行された。
 しかし品確法と改正独禁法施行、脱談合という3つの契機による大転換期の先には、東京都のくじ引き落札が01年度6件から02年度に216件と急増したように、中小企業で先行して始まっていた低価格競争が06年から大規模工事でも多発し、競争激化と高落札率批判という2つの問題が待っていた。
 この時、脇雅史参院議員は、「落札率が7、8割になる理由は、積算が間違っているか、過当競争の2つに1つだ。落札率が低いことが正義とは思わない。適正な競争には適正な審判(発注者の企業評価)が必要だ」と総合評価の落札判断をフィギュアスケートの評価に例えて高落札率批判に反論し続けた。
 国交省はこうした事態を受け06年、事実上の失格基準に当たる特別重点調査などを柱にした対策に踏み切る。自治体と違い失格基準を設定できない国交省にとって、大きな決断だった。
 さらに建設産業がさまざまな課題を抱える中で、大きな転換期を迎えていると判断した国交省は、産業の担い手確保の重要性に力点を置き「再編淘汰やむなし」を打ち出した『建設産業政策2007』を07年に公表する。担い手3法、人材確保を重視し生産性向上にもつなげるという流れの土台はこの時つくられた。

◆品確法と改正独禁法の動き

2002年10月 公取委が独占禁止法研究会を設置し検討開始
   同年12月 自民党品確議連の前身、品質確保向上研究会が「ダンピング受注排除緊急対策」
2003年6月 自民党研究会が発展解消の形で、品確議連が発足
2003年10月 公取委独禁法研究会が報告書、パブリックコメント
2004年4月 公取委が独禁法改正案
    同年5月 自民党独禁法調査会が独禁法改正案提出先送りを決定
    同年8月 自民議連、予定価格上限拘束性撤廃を視野にした会計法改正を断念
    同年10月 自民独禁調、独禁法改正案了承
    同年11月 議員立法として品確法案提出
2005年4月 品確法施行
    同年4月 改正独禁法成立、2006年1月施行

■明日への提言 建設技術研究所の大島一哉会長
【第4の転換点「世界で稼ぐ」 世界に出なければじり貧になる】
 建設コンサルタントはこれまで3回の転換点があった。第1は、GHQがコンサル業務に外注方式を導入、日本も直営から外注に移行したことだ。登録制度が発足し、昭和30年代後半までに“業”として誕生した。
 第2の転換点は、建設省が1989年にATI構想(建設コンサルタント中長期ビジョン)を策定、RCCM(シビル・コンサルティング・マネジャー)の試験制度がスタートして、建設コンサルが“業”として確立した。
 第3の転換点は、指名競争入札から一般競争入札への移行だ。「安ければいい」という風潮になったことが、品質の低下を招き、業界が疲弊して経営状況も悪化し、若い人がコンサルタント業界に入ってこなくなった。こうした状況の中で、品確法(公共工事品質確保促進法)が成立、さらに改正されて担い手確保・育成策や取り組みの進化につながった。
 いま、建設産業界は20年、30年先の大きな目標がない。今後、第4の転換点として、世界で稼ぐ真の産業にすることが必要だ。まだ、第3の転換点の課題や宿題は残っているが、それを第4の転換点につなげるための対応をしていくことも大事。世界に出て行かなければ、企業もじり貧になり、産業全体の元気もなくなってしまう。

明日への提言 『建設産業政策2007』策定議論当時、事務局の国土交通省で官房審議官を務め現在、岡山市長を務める大森雅夫氏
【就業者の急激な減少に危機感 円滑な事業遂行に信頼関係大事】
 当時、建設業界がコンプライアンス(法令順守)徹底を打ち出したがその後、極端な低価格入札が続いていた。このままでは建設業そのものが倒れてしまうし、確立された技術の検証も出来なくなってしまうという懸念が強かった。そのためにどうすべきかということの1つとして、技術と経営による競争を促進するための制度をつくっていこうというのが、『2007』の一番の骨格だった。
 そもそも当時、企業数が減少していないのに、就業者は大幅に減少していた。このままでは由々しきことになる。だから産業構造を変えなければならないという意識を強く打ち出すために「企業の再編、再編淘汰もやむなし」というメッセージを盛り込んだ。
 ただ「安ければ良い」という考え方がおかしいということは、担い手3法施行を含め、いま確立している。
 今後の建設業にとって、女性の活躍支援や若年者確保の取り組みがより重要だが、品質確保、信頼確保という点も考えていって欲しい。事業を進めるためには国民に根ざし、国民との信頼関係をもとに進める。互いの信頼関係が非常に重要だからだ。
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