2015/10/04

【日本の土木遺産】南河内橋(福岡県) 国内唯一のレンティキュラートラス構造橋


 南河内橋はJR小倉駅の南西約10㎞、北九州市八幡東区内を流れる大蔵川上流に位置し、1919-27(大正8-昭和2)年に行われた八幡製鐵所の河内貯水池建設に伴って架橋された橋長133m、幅員3.6m、2径間の鋼製レンズ形トラス橋である。

 橋台と橋脚はコンクリートで、岩盤上に直接造られた。赤く塗装されたその優雅な曲線美は、どこかユーモラスでノスタルジックである。
 南河内橋の構造形式は、側面から見ると凸レンズの形状をしているトラスであることから、レンティキュラー(レンズ状の)トラスと呼ばれる。この橋は上下対象のユニークな意匠を誇る半面、メーンとなる鋼材が上下ともに弧を描くことから、独立した床組を組む必要性が生じる。
 この点が他の形式のトラス橋と比較してコスト面で不利となる。そのユニークな意匠ゆえに衰退する宿命を内包していたのだ。こうして現在では、橋梁工学の教科書にも載っていないほど珍しい構造形式となってしまったのである。
 20年代に建設された、土木技師・佐藤三四郎の設計による群馬県前橋市の「大渡橋」や同県桐生市の「桐生橋」がこの形式であったが、台風水害による流失および川の暗渠化に伴い、既に撤去されており、この南河内橋のみが現存する。
 当時、八幡製鐵所の土木技師であった沼田尚徳(ひさのり)、足立元二郎、松尾愛亮(よしすけ)の3人は、南河内橋を含む河内貯水池の建設全般に関わった。なかでも中心的な役割を果たしたのが尚徳である。
 そして、ダムを始めとする河内貯水池の付帯施設として、南河内橋を含むさまざまな構造・意匠の道路橋や水路橋、さらには石材で覆った管理事務所や弁室等の建屋を設計・建設指導した。
 石材の使用も切石積み、野面(のづら)積み、割石張り、自然石張りなどのさまざまな技法を駆使して、個性と全体の統一感が共存した一大土木構造物群ともいえる様相である。
 南河内橋は、この貯水池を構成する構造物群の1つに数えられ、そのことを誇るかのように橋脚と橋台はダムと同様に切石積みコンクリートとなっている。なお、橋の実際の設計は技手・西島三郎が行ったといわれている。
 尚徳は河内貯水池の着工に先んじて、15(大正4)年から翌年にかけての約9カ月間、英米に視察出張をしている。この外遊の際、アメリカの鉄都ピッツバーグにおいて、1883年に架橋されたレンティキュラートラス構造のスミスフィールド・ストリート橋を見たといわれている。
 製鉄業に携わる者にとって新興著しい当時のピッツバーグは憧れの地であったことから、この地のシンボルであり、ランドマークとなっている鋼橋を取り入れたことは十分考えられるのである。
 製鐵所に奉職する土木技術者として、八幡製鐵所で生産した鋼材を使い、自分たちが設計と施工を行って、当時の日本の技術水準を示しながら、鉄の町・八幡のシンボルとなる意匠の橋を架けるということはむしろ当然の帰結だったに違いない。
 たとえ既に時代遅れの構造であっても、鉄の町のシンボルとしてこれほど相応しい橋はないと判断したと考えられる。
 後日、尚徳は会計検査院から「南河内橋は無駄遣いではないか」と指摘を受けた。工事に8年もの月日がかかったこともあり、その間に材料費や労務費が高騰し、工事費が膨らんだことに加え、造形や意匠に凝った構造物群を見た会計検査員に悪い印象を持たれたことは想像に難くない。この時、建設費用は迂回路の方が高くなるという書類を部下に指示して作らせたという逸話が残っている。(日本港湾コンサルタント 市場嘉輝)
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