文豪・夏目漱石が生まれ、生涯を閉じたまちでもある東京都新宿区--。まちの記憶を受け継ぎ、貴重な文化・歴史を発信するため、区は夏目漱石が晩年を過ごした地・早稲田南町でことし4月、(仮称)「漱石山房」記念館建設工事に着手した。自宅の「漱石山房」の一部を再現するほか、利用者や地域に開かれた交流スペースも設ける。初の本格的漱石記念館となる施設は、漱石生誕150周年に当たる2017年9月に開館する予定だ。画像は完成イメージ
漱石は1867(慶応3)年に現喜久井町で生まれ、1916(大正5)年までの晩年の9年間を「漱石山房」と呼ばれる早稲田南町の家で暮らし、『三四郎』『それから』『門』『こころ』などを執筆した。和洋折衷の平屋建てで、庭の大きな木や洋風のベランダ式回廊が特徴の家だった。客間で毎週木曜日に開いていた文学サロン「木曜会」には、漱石を慕う多くの弟子が集い、交流を重ねる場ともなっていた。
完成模型 |
漱石山房は東京大空襲により焼失し、1953(昭和28)年に跡地に東京都が都営住宅を建設した。その後、76年に新宿区が敷地の一部を「漱石公園」として整備し、77年に東京都が都営住宅の土地建物を区に移管した。「漱石山房」記念館の建設地は早稲田南町第3アパート(旧都営住宅)跡地の早稲田南町7の敷地1114㎡。隣接する区立漱石公園と一体的に整備する計画だ。
新宿区文化観光産業部文化観光課の橋本隆課長は「新宿区と漱石の強い関わりを、区として発信する必要があった」と事業の意義を強調する。
08年には漱石公園をリニューアル開園するなど、漱石山房復元への機運が高まり、12年に設置した整備検討会では、8回にわたり検討会を開き、13年3月に整備基本計画を策定した。同7月には施設整備基金を設置し、寄付の募集を始めた。目標額は2億円とし、6月21日時点で1658件8351万8385円の寄付金が集まっている。
1階導入展示のイメージ |
規模はRC・S造地下1階地上2階建て延べ1276㎡。設計・監理はフォルムデザイン一央(武蔵野市)、展示設計は丹青社、施工は菊池建設(新宿区)が担当している。
1階には、漱石の基本的情報を展示する導入展示のほか、漱石山房の書斎、客間、ベランダ式回廊など一部を再現し、漱石が暮らし、執筆した空間を可視化する。カフェやミュージアムショップも設置される。2階の常設展示スペースでは、区が所蔵する草稿、書簡、初版本を公開する。地下1階には、事務室、収蔵庫、図書室、多目的室、講座室が整備される。1階の交流・サービススペースなどを活用して、漱石関連のイベントを行い、かつての「木曜会」のように交流を図る。
山房再現展示のイメージ |
漱石山房の再現は早大建築史研究室に委託して、建築史の面から推定復元し、「当時の漱石の息づかいまで感じられる空間」(橋本課長)をつくる。漱石公園には、芭蕉、トクサ、桜などの当時の植栽も再現する。
記念館には、全国各地の漱石関連資料の所蔵場所が分かる総合的な情報検索システムを設ける計画で、「一文学者では初となるデータベースをつくる準備を現在進めている」(同)。研究者から、カフェや図書室を利用する地域の人まで幅広い層が気軽に利用できる施設を目指す。
今後は漱石が一時期暮らしていた文京区にある区立森鴎外記念館と、資料の貸し借りなどの事業連携も視野に入れている。
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