寺田智子さん |
じりじりと容赦なく照りつける日差しが私の体力を奪う。建設業に足を踏み入れてはじめて経験する夏の暑さは、今まで猛暑日を冷房の効いた部屋で過ごしてきた私にとって想像をはるかに超える過酷なものだった。
私がこの業界に興味を持つようになったのは親戚の叔父の存在が大きい。お喋り好きな明るい性格で、一瞬で場の雰囲気を明るくできる機知に富んだ人物である。私はこの叔父に幼い頃からなついていた。ゼネコンに勤務し定年までバリバリの現場監督を務め上げたキャリアに誇りを持っており、盆や正月に親戚が集まった時など、自分が携わった現場での逸話を武勇伝のように語った。
「おっちゃんな、ずっと地下鉄が走るトンネルを掘ってたんやで。そりゃもう大変な現場やった。でも、おっちゃんや大勢の人が一緒に頑張ったからこそ今、地下鉄が走りよる。簡単に行きたい所へ行けて便利やろ?」携わった工事現場での苦労話、苦労を乗り越えて完工した時の喜び、人々の生活を便利にする建設業に携わった事への誇りを臨場感たっぷりに話すのが常であった。70歳近いにもかかわらず少年のように目をキラキラさせて語る姿を見て、私もこの楽しそうな仕事をしてみたいとおぼろげながら思うようになった。
気が付いてみると、私が選んだ進路は普通科の高校ではなく土木について詳しく学べる工業高等専門学校だった。現場監督に僅かの憧れを抱いて進路を決めた私だが、選んだ部活は日焼けするのを嫌ってバドミントン部という優柔不断さもある。
そんな私が現場監督に就いて2年が経った。自然を相手にする仕事で当然夏は暑く、冬は寒い。日焼けを嫌った学生時代の自分にとって信じられない程、夏は日に焼け、真っ黒になる。その姿を見かけた恩師が心配して日焼け止めクリームを差し入れてくださったくらいだ。しかし、今の私は日焼けなど気にならないくらいこの仕事に魅力を感じ、のめり込んでいる。
入社して最初に配属になった現場は、景観地区の中心部に芝生広場を造る工事だった。工事終盤からの途中参加であった。配属から数日後に広場内にできる園路と階段のコンクリート打設が行われた。ポンプ車を操作し生コンを圧送する者、圧送された生コンを敷均す者、コテで天端均しをする者、誰一人無駄な動きをしている者はいなかった。私は何も分からずただ見ていることしかできなかった。この中で一人だけ蚊帳の外のような気がして悔しく、情けない思いをした。
その後、広場の中心を流れる小川のようなせせらぎ水路を造る工程に差し掛かり、位置出しの測量業務を担当した。明らかに広場のシンボルになる構造物の位置出しという重責に緊張した。丁張りを設置し、重機オペレーターに所定の位置まで土砂を掘削してもらう。その後、砕石を敷いて転圧し、均しコンクリートを打設した。その上に鉄筋を組み、躯体コンクリートを打設し、せせらぎの概形ができ上がった。ここから仕上げ作業に取り掛かる。水が流れる水路の底面に化粧砂利を敷き詰める作業だ。石工の職人たちに混ざり私も一緒に作業した。手作業でひとつひとつ丁寧に並べていくうちに、完成形が見え始め、胸が高鳴った。すべての化粧砂利を並べ終え、せせらぎ水路が完成した。
完成したせせらぎ水路に通水し、上流から下流に一定の速さで水が流れていく光景を目にした時、今までの人生で他では得たことのない感動を覚え、鳥肌が立った。自分も物造りの輪に入れた事を実感し、喜びを感じた。工事が終わって気付いたのだが、顔も手も日焼けで真っ黒になっていた。学生時代は日焼けを嫌がったが、この時は現場で働く一員になれた事の快さが勝り嬉しかった。
建設業の魅力は、各々の役割を担ったスタッフが協力して一つの構造物を造り上げる事にある。現場監督や重機オペレーター、重機をアシストする作業員。全員で工事の効率化と安全性を追求し、入念な打合せを行いながら進めていく。そのうちの誰かが欠けても工事の進捗は止まる。各々の専門家たちが知恵を絞り経験を活かし、力を合わせて一つの構造物を造り上げるチームプレーに他ならない。工事に関わる全員が最高のものを造りたいという気持ちで協働し、全力で仕事に取り組むこの業界は本当にカッコイイ。
入社当時は何も分からずただ見ているだけだった私も、上司や職人の指導のおかげで、少しずつ出来る事が増えてきた。しかし、覚えなければならない事がまだまだ沢山ある。理解すべき事が多すぎてくじけそうになる事もあるが私は負けない。いつか一つの現場のスタッフの中心で「最高のものが出来た。」と喜び合える日を目指して。
(了)
建設通信新聞(見本紙をお送りします!)
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