2015/06/21

【日本の土木遺産】貞山運河(宮城県岩沼市~石巻市) 伊達公の日本最長運河、復興中

貞山(ていざん)運河とは、初代仙台藩主伊達政宗の時代の1597(慶長2)年から1884(明治7)年にかけて、大きく4つの時期に建設された海岸線沿いの内陸運河である。
 仙台湾の海岸線約130㎞のうち49㎞にもおよび、旧北上川から松島湾を経由して阿武隈川に至る日本で最も長い運河である。

 最初に着手されたのが、阿武隈川河口の蒲崎から名取川河口の閖上(ゆりあげ)に至る15㎞区間で「木曳(こひき)堀(ほり)」と呼ばれている。政宗の晩年から2代忠宗の時代に、伊達家に仕えた川村孫兵衛重吉(しげよし)が手掛けた。
 次に着手したのが、七北田川河口の蒲生から塩釜港までの7㎞区間で、「舟入(ふないり)堀(ほり)」と呼ばれる。3番目に完成したのは、木曳堀と舟入堀の間の9.5㎞区間で、天保年間(1830-43年)に計画されていたが実行されず、工事が行われたのは明治に入ってからであった。
 この工事は明治維新の士族の救民事業として行われたもので、1872(明治5)年に完成し、「新堀(しんぼり)」と呼ばれた。最後は、明治政府による野蒜(のびる)築港事業として、81(明治14)年に完成した旧北上川から鳴瀬川間13.9㎞の「北上運河」と、84(明治17)年に完成した鳴瀬川と松島湾の間3.6㎞の「東名(とうな)運河」である。いずれも河幅は20-60mである。
 貞山運河という名称は81(明治14)年に塩釜から阿武隈川までの間に位置する木曳堀、舟入堀、新堀の改修を行った際、当時の宮城県土木課長早川智寛(ともひろ)が政宗の謚(おくりな)「貞山」(生前の行跡に基づいて死後に送られた名)にちなんで、これらの堀の総称として命名したものである。
 1615(元和元)年、大坂夏の陣が終わった頃から、政宗は藩内改革に精力を集中し、新田開発や治水に力を入れていくことになる。
 重吉に命じた木曳堀の整備は、舟運確保と名取川と阿武隈川の間にある名取谷地の開発であった。この名取谷地といわれる湿原地帯に沿った運河の掘削は排水路として機能し、新たに3000haの農地と洪水被害の軽減を生み出すことになる。仙台藩は石高62万石であり、領地は本領21郡におよび、北は岩手県の江刺郡から南は福島県の宇田郡の一部にわたっていた。
 そして、政宗や重吉の構想には、さらに北上川と塩釜港を結び、北上川から阿武隈川までを結ぶ壮大な舟運ネットワーク計画があった。しかし、その完成は明治の大久保利通の登場まで待たなければならなかった。
 明治以降、鉄道や道路の整備により、舟運による物資の輸送量も減少したことから、貞山運河も維持管理されることなく放置された時期が続いた。
 今日では、ほとんどが排水路としての機能だけになってしまった運河であるが、かつて日本の各地において見られた貴重な親水空間として市民に愛されてきた。
 運河の水面と岸辺に続く松林によって創り出された素晴らしい景観は、2011年3月11日の東日本大震災による大津波により一変した。幸いにも運河自体には大きな被害はなかったが、沿川の松林や建物は壊滅的な被害を受け、現在は復興途中にある。
 貞山運河は、約120年前となる1896(明治29)年6月15日にも明治三陸地震による大津波を経験し、それ以外でも小さな津波ならば何回か襲われている。
 しかし、その都度、運河は蘇ってきた。運河沿川周辺の景観は震災の傷跡を残しているが、市民に愛された貴重な親水空間が、在りし日の姿を取り戻すことを切に願わずにはいられない。  (元八千代エンジニヤリング 松村憲勇)
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