戦後復興期、建設産業界にとって最も大きな出来事が2つある。1つは、1945(昭和20)年に誕生した戦災復興院、47(昭和22)年12月末の内務省解体廃止に伴って戦災復興院と内務省国土局によって行われてきた建設行政が、48(昭和23)年1月に統合される形で建設院として発足。さらに省への格上げの形で実現した建設省誕生(同年7月)だ。もう1つは翌年5月に成立、8月から施行された建設業法制定だった。建設省誕生は本格的な建設行政の始まりを、また建設業法制定は建設業が請負業として確立されたことを意味した。明確な所管官庁の誕生と業法によって、建設産業はその後大きく拡大していく。
写真は1961年の東京タワーとその周辺(日本民間放送連盟『民間放送十年史』1961年より)。
新長期経済計画に代わる高度成長政策 建設業にとっても、所管官庁である建設省と建設業法制定は悲願だった。建設省発足と建設業法制定以前、建設業は業者を取り締まるための府県令によって問題が起きた場合、警察が取り締まる立場に置かれていた。建設業法制定によって、法律に拠って立つ建設業が誕生したわけだ。
業法制定の背景には、業者乱立によるダンピング(過度な安値受注)や一括下請け(丸投げ)横行もあった。
また契約関係についても戦前の建設業界と発注者の工事契約の実態を明らかにした『土建請負契約論』(川島武宜、渡辺洋三著)で提起されたように片務契約性の色合いが非常に濃かった。具体的には、甲(公共発注者)と乙(請負者)の権利義務関係では、乙には義務を課し、甲の義務は曖昧な文言にしたり、支払い時期や支払い遅延損害賠償の規定がなかったりとさまざまな片務性を、『土建請負契約論』では指摘した。
◇産業の近代化、中建審も担う
こうした片務性是正を目的にしたのが、「登録制度導入によって悪質、不適格な建設業者を排除し、取り締まりによって不正・悪質な行為を禁止する」一方で、「建設工事の請負契約の規正、技術者の設置等により、建設工事の適正な施工を確保するとともに、建設業の健全な発達に資する」ことを明記した建設業法だった。登録制度による営業規制や建設省または都道府県による監督、請負契約の方法などを定めた建設業法制定は一方で、昭和、平成の途中まで制度・政策について建議機能を持った中央建設業審議会の設置が盛り込まれたのも大きな特徴となった。
しかし当時の建設業は、政府の超均衡予算や公共工事の工事代金支払い遅延、次年度予算を見越して既契約で着工した「内示工事」の未払いが相次ぐ中、前金払いが前提の資材や労働基準法で優先的な現金払いが義務付けられている労働者への賃金などもあり、経営環境は悪化していた。支払い遅延による建設業の立て替え額も、「建設業界が全国の地方公共団体で立て替えた金額は30億円以上と推定」(『日本土木建設業史』日本土木工業協会)と建設業界の大問題に発展していた。
ただ建設業に対する金融機関の融資順位は低く、建設省は中小建設業に対する金融指導要綱を制定、救済に乗り出した。
◇資金繰り支援へ前払金保証制度
さらに51(昭和26)年11月に政府はインフレ抑制のための金融引き締め強化を発動。事態を重く見た中建審は、金融難への対応には、民間で実施されている前払金制度を公共工事にも適用することを議論。建設業界も一体となって検討した結果、52(昭和27)年4月に「公共工事の前払金保証事業に関する法案」が提出され、同年7月から施行された。その結果、同年9月から北海道建設業信用保証、東日本建設業保証、西日本建設業保証の主要前払保証3社が順次設立された。
また50(昭和25)年5月、建設士法及び建築基準法が公布、施行され建設関係の主要な制度の骨組みが固まった。士法は建築物の設計や工事監理などを行う技術者の資格を定め、業務を建築士資格者に行わせる、いわゆる業務独占を認めるもので、51年3月には3100人の1級建築士が誕生した。
昭和時代の高度成長期を支える公共事業の槌音が全国各地で響く建設業発展は、建設省誕生と建設業法制定、さらに資金繰り支援につながる前払保証制度が土台となったものだった。
◆戦後初のコンペ・国立国会図書館/著作権問題で公開論争も
1954(昭和29)年1月15日付「建設通信」1面より |
1953(昭和28)年11月、国家的公共施設で戦後初の公開コンペとなる、「国立国会図書館建築設計懸賞募集要項」が公示された。しかし、建築家・吉阪隆正からの入選者の著作権と設計関与についての質疑に対し、国立国会図書館からの(1)設計および図書は当館の用途に用いる限り当館が行使する権利を持つ(2)入選者は実施設計に関与させる建前を取っていない――と回答。この回答が、建築家有志の声明書提出や新聞紙上での建築家・丹下健三と国会図書館館長との公開論争、建築家らによる建築著作権確立準備委員会結成にまで発展した。
そのため54(昭和29)年に、国立国会図書館建築協議会が開催され、最終的には当選者を設計者として関与させることなどで合意した。
その結果、戦後初の公開コンペには122点の有効応募作品が提出され、1等には前川國男建築設計事務所の田中誠、大高正人のほかMID同人ら18人が選ばれた。
次回は、11月30日に「拡大とショック」と題し、日本の高度成長期に合わせるように、建設産業が拡大する転機となったさまざま出来事と、オイルショックまでの動きを追います。
◆1945年-1960年の動き
1945年(昭和20年)
11月 戦災復興院を設置
戦時建設団解散受け、日本建設工業統制組合、日本道路建設業協会設立
12月 JIS規格スタート
1946年(昭和21年)
7月 建設業10団体が建設省設置要望
1947年(昭和22年)
2月 国際標準化機構(ISO)発足
4月 私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独禁法)公布、7月施行
1948年(昭和23年)
1月 建設院発足(内務省国土局と戦災復興院が統合、内務省土木試験所は建設院第一技術研究所に改称)
2月 土木懇話会設立(日本土木工業協会の前身)
3月 日本建設工業統制組合の流れを組む日本建設工業会解散受け、全国建設業協会設立
7月 建設省発足
1949年(昭和24年)
2月 東京建設会館落成
5月 建設業法公布、8月施行
建設省が組織変更(総務・建設・特別建設の3局を廃止し、管理・住宅の2局と営繕部を設置)
10月 第1回中央建設業審議会総会
1950年(昭和25年)
5月 建築士法公布、7月施行
建築基準法公布、11月施行
国土総合開発法公布
8月 朝鮮戦争による特需景気始まる
建築着工統計、指定統計として公表
1951年(昭和26年)
1月 中建審、「民間建築工事標準請負契約約款」前渡金などを決定
9月 サンフランシスコ講和条約(52年4月発効)
沖縄那覇飛行場建設工事でJV方式
セメント生産約660万tで戦前の最高を超える
1952年(昭和27年)
6月 公共工事の前払金保証事業に関する法律公布、7月施行
7月 建設省が組織変更(管理・都市の2局廃止し、計画・営繕の2局を設置。首都建設委員会を総理府から建設省に移管)
日本建築士会連合会設立
8月 地方自治法施行令改正。前払保証会社の保証があれば、前払金支出可能に
9月-11月 北海道建設業信用保証、東日本建設業保証、西日本建設業保証が相次ぎ設立
1954年(昭和29年)
7月 全建、ダンピング入札で声明
セメント年生産1000万tを突破
1955年(昭和30年)
2月 海外建設協力会(海外建設協会の前身)設立
日本住宅公団発足
12月 国土総合開発法施行令公布・施行
神武景気(55年から57年前半)
1956年(昭和31年)
4月 官庁営繕実施の一元化
日本道路公団発足
首都圏整備法公布
衆議院建設委員会「大手業者の小規模工事入札参加を抑制すべし」発言
10月 日本建築家協会設立(日本設計監理協会改組)
12月 国際連合に日本加盟
建設会社の株式公開続く
民間設備投資の3割が建設関係
1957年(昭和32年)
1月 日本ダム協会発足
4月 高速自動車国道法公布
5月 建築業協会設立
9月 建設業6団体、国土総合開発の重点施行、電源開発事業促進、高速度産業道路の建設、住宅の不燃化・高層化促進、建設業法改正、建設業の海外進出に対する助成強化、建設業金融公庫設置などを建設、大蔵両省に意見書提出
1958年(昭和33年)
3月 関門トンネル竣工
12月 東京タワー竣工
1959年(昭和34年)
4月 東海道新幹線起工式
6月 首都高速道路公団発足
火力発電量が水力発電量を上回る
1960年(昭和35年)
8月 首都交通対策審議会と都市計画地方審議会が東京オリンピックの施設計画を決定
9月 第1回BCS賞
建設労働者不足が慢性化。不足数は10万人と推定
国民所得倍増計画(昭和36年から同45年)を閣議決定。
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