2015/11/23

【シリーズ戦後70年】彰往考来・成長から成熟へ [1]3つの転換点


 戦後70年という節目の年である2015年も終わりを迎えようとしている。日本にとってこの70年は、戦後復興から高度成長期、安定成長期、低成長期という3つの成長期を経て現在に至る軌跡となる。この中で戦後復興から高度成長期の需要増を背景に国民所得に対する建設業の割合は、1950(昭和25)年度の4.1%から、63(昭和38)年度には7.2%まで拡大、75(昭和50)年度には国内総生産(GDP)の1割近くを建設業が占めるまで拡大した。一方で建設産業界はこの70年間、産業規模拡大の中、さまざまな転換点に直面してきた。この転換点は建設産業にどのような影響を与え、今と今後にどうつながっていくのか。
 写真は自民党内の会議。行政の動きは今後、どうなっていくのか――。

■建設省裏3課、一躍表舞台へ
 第1の転換点は、85(昭和60)年から95(平成7)年の10年間だ。建設省(現国土交通省)は84(昭和59)年、建設業の目指すべき方向と産業政策のあり方の指針となる中長期ビジョン策定を目的に、建設産業ビジョン研究会を設置。86年2月に『21世紀への建設産業ビジョン』として結実させた。
 当時、「建設業冬の時代」と呼ばれた低成長時代に突入。その中で、高齢化が進行し、生産性を向上しなければ深刻な労働不足に陥ること、元請け・下請けそれぞれの企業評価の徹底が求められるという今に通じる課題の解決を求めるものだった。
 一方、建設省にとってビジョン作成は当時の省内事務系職員らが、「表3課、裏3課」と呼び、あまり日の当たらない裏3課の1つだった、建設業課が担う業行政から、産業の振興・育成までを視野にした産業行政への転換を意味した。
 しかし建設産業界にとって初めての官主導によるビジョンは、「冬の時代」の背景だった貿易摩擦と円高不況が、85(昭和60)年のプラザ合意と前川リポートを受け内需主導型経済へと転換、バブル時代に突入したことで急速に関心を失った。

■一般競争へ転換地方業界を直撃
 ただこの時、建設産業界は日米構造協議による外国企業参入と、入札談合、汚職事件の中、100年続いた指名競争入札から一般競争入札への一大転換に、地方建設業界を中心に強い危機感が生まれ始めていた。
 指名競争から一般競争への大転換は、指名権を持つ公共発注者に必要な企業を評価する能力と品質確保のための目配りを含めた発注能力を失わせた。その結果、小規模工事でも価格だけの競争を強いることで、地方建設業は過酷なダンピング(過度な安値受注)競争と先行きの事業量が見えない不安の中で、急速に経営を悪化させたからだ。

■脱談合宣言で業界ガラリ

 第2の転換点は、初めての官主導ビジョンから10年後に「良いものを安く」調達することを掲げた95年の『建設産業政策大綱』からさらに10年後、旧日本土木工業協会(現日本建設業連合会)が主導した「旧来のしきたりからの訣別(脱談合)」、課徴金減免制度導入や課徴金大幅引き上げなどを柱にした「独占禁止法改正」、価格だけでなく技術評価を行う総合評価方式を発注者に求めた「公共工事品質確保促進法(品確法)」という3つの動きだ。この3つの動きは、それぞれがコインの裏表の関係として、同時進行で進んだ。
 こうした動きが、結果的に土木4団体の合併、その後の大手3団体統合による現在の日本建設業連合会誕生につながった。
 さらに、発注者、設計、コンサルタントなどゼネコンと取り引きするすべての関係者にも影響を与え、大規模工事での政策的JVがなくなり現在の混合入札、詳細設計付き入札などさまざま新たな入札導入の礎ともなった。
 地方建設業界にとって最大の影響を及ぼしたのが、指名競争から一般競争への転換だったのに対し、第2の転換点は大手元請けを始め業界団体にまで、より広範に影響を与えたと言える。

■「担い手3法」再生への転機
 第3の転換点は、2014(平成26)年に施行された品確法、建設業法、入札契約適正化促進法(入契法)の一体改正、いわゆる「担い手3法」だ。30年前、『21世紀への建設産業ビジョン』で提起された、高齢化の進行によって生産性を向上しなければ将来の供給力を維持できないという問題意識は、30年後、担い手3法という形で、ようやく建設産業界を挙げて取り組む課題として認識された。
 この担い手3法。30年前のビジョンだけでなく、公共工事市場縮小と脱談合の衝撃、さらには大手と中小企業の棲み分けをしながら「今後は再編淘汰もやむなし」を前面に打ち出した『産業政策2007』が後押しとなったのは確かだ。
 この『産業政策2007』は、その後の産業政策でも重視された「専門工事業界の再生」を色濃く打ち出したことで、専門工事業界の発言力を強めるきっかけともなった。
 これら3つの転換点に直接的・間接的に共通する背景は建設市場縮小と先行きへの不安だ。言い換えると、需要と供給のギャップに、建設業界と個別企業は対応できなかった。
 しかし、第2の転換点である脱談合・改正独禁法・品確法、第3の転換点の担い手3法によって、需給ギャップや市場変化に対応するためのお膳立てはそろいつつある。

 日刊建設通信新聞は、戦後70年を契機に、この70年間の建設産業界の変遷の中、大きな影響を与えた出来事を振り返ることで、現在と将来の建設産業再生につながるキーワードを探ることを目的に、編集企画「彰往考来 シリーズ戦後70年 成長から成熟へ」を最終面に掲載します。
 次回は、「建設省誕生」と題して、戦後ようやく産業として認知された建設業界、建設省の動きを追います。

 彰往考来(しょうおうこうらい) 中国・晋代の杜預『左史伝』序の「彰往考来」に拠ったもの。過去を明らかにして未来を考えるという意味。(茨城歴史事典より)
 「戦後70年の動き」年表はこちら

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