2015/11/08

【日本の土木遺産】通潤橋(熊本県) 石工たちの知恵が生んだ優美な鞘石垣のアーチ橋


 熊本県の中部、阿蘇外輪山の南側に位置する上益城(かみましき)郡山都(やまと)町を流れる五老ヶ滝川に架かる石のアーチ橋が「通潤橋」である。江戸後期の1854(安政元)年に完成したこの橋は、延長30㎞の農業用の疎水である「通潤用水路」の一部で、深い谷を越すために建設された。橋と同時期に造られたこの用水路は、上流約6㎞先にある笹原川から取水し、今も現役で用水を運び、下流の白糸台地の田畑を潤している。

 通潤橋には石管で造られた通水管が3列通っており、川面から高さ約21mに位置する橋の中央部の木栓を抜くと、橋の両側に水が勢いよく噴き出す仕組みとなっている。この放水は他に類を見ない迫力があり、これがこの橋の大きな特徴の1つとなっている。橋のアーチ頂点から真横に吹き出し、上流方向に2筋、下流方向に1筋、美しい曲線を描いて川面に注ぐ。本来の目的は、通水管の内部にたまった泥や砂を除くためのもので、現在では9月の「秋水落とし祭り」のほか、灌漑利用が少ない時期に、観光客用に20分程度の放水を行っている。
 また、橋の石垣は、野外彫刻かと思うほどの優美さがある。側面にはアーチ状に積んだ石組みの模様が表れ、橋台は裾広がりの石組みが美しい曲線を描いている。この裾広がりの鞘石垣は熊本城の石垣にみられる手法で、壁石を横から支えるつっかえ棒の役割を担う一種のもたれ擁壁である。
 通潤橋の南側に広がる白糸台地は、谷に取り巻かれて灌漑が難しく、荒れ地となっていた。この地域に水を引く事業の中心となったのが惣庄(そうじょう)屋布田保之助(ふたやすのすけ)である。父親が惣庄屋だった保之助は10代の頃から、この不毛な白糸台地に水を引くことを考え続けていたという。保之助は惣庄屋になってから、通潤橋の前にもいくつかの石橋を架け、また新田開発などの土木事業を進めていた。
 用水路のルート決定経緯の詳細は不明だが、保之助は近隣の惣庄屋が過去に着工し、途中で挫折した用水路建設事業に着目した。この計画と残った用水路を見て、笹原川から取水し五老ヶ滝川の上を渡せば、白糸台地の上部にも水を行き渡らせることができると考えた。そこで五老ヶ滝川を越す場所は、出来るだけ上流で川幅の狭い地点を選んだ。それでも川から30mもの高い位置に橋が必要であった。
 実は通潤橋を渡る3列の通水管は、橋の左岸側の水溜の吸込口が、橋の上面より7.76m高い位置にある。そして、橋を渡った右岸側の水溜への吹出口は、橋の上面より5.63m高い位置にある。橋の前後の水位差2.13mの水圧を利用して水を運ぶことで、橋面の高さを低くして橋の規模を小さくしたのである。
 通潤橋は橋長が75.6m、幅が6.6m、アーチの幅が26.5mの石橋である。着工は1852(嘉永5)年12月であり、石工の棟梁は小野尻村宇一(宇市、卯一、卯市と書く説もある)である。副棟梁は種山村丈八で、後の皇居の二重橋(正門石橋)を架けたといわれている橋本勘五郎である。大工の棟梁は藤木村茂助である。通潤橋は54年7月、着工から1年8カ月で完成した。
 通潤橋は水を運ぶために高さが欲しかった。これを克服するために、保之助や石工たちは、自らの経験に加えて城壁の技術を取り入れて応用し、裾広がりの石垣を採用した。そして、慎重に慎重を重ねた結果がこの橋を形づくったのであり、その機能美を150余年後の現在も堪能することができる。 (エイト日本技術開発 村山千晶)
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