2015/11/19

【日本の土木遺産Ⅱ】熊本営林局が敷設! 屋久島の安房森林軌道

九州の最南端、鹿児島県佐多岬から約70㎞南南西に位置する屋久島は、年間降水量が山岳部で約8000-1万mmに達し、年間の5-6割が雨天となる。年平均湿度75%、年平均気温19度であり、高温多湿の気候である。
 多雨多湿により光合成が不活発な環境で育つ屋久杉は、成長が遅く年輪が綿密となり樹脂を多く含み、他の杉に比べると比重が重い。その年輪の美しさから工芸品や建築装飾用材として珍重され、硬質で割裂性があるため平木(ひらき)(短冊型の薄板)に加工され、寺社仏閣などの屋根材として利用されてきた。この平木は、江戸時代には年貢の代替品として納められるなど貨幣的な価値もあった。

 この貴重な森林資源を活用するため、大正末期から昭和初期までに屋久島東部の安房(あんぼう)森林軌道、北東部の宮之浦森林軌道、北西部の永田森林軌道、南西部の栗生(くりお)森林軌道の4路線が建設された。これらの軌道は、山岳部で伐採した屋久杉を沿岸部まで運材するために敷設されたもので、屋久島の森林開発の動脈として運行されていた。
 1922(大正11)年6月、熊本営林局による安房森林軌道の工事が始まった。屋久島第二の集落の安房にある安房港の貯木場を起点に、伐採の前線基地となる小杉谷官行斫伐(しゃくばつ)所(後の小杉谷製品事業所)までの16㎞を3工区に分けて着工した。
 全区間、屹立(きつりつ)した地形の連続で硬質な花崗岩が主体であるため、岩盤はダイナマイトで砕き、人力でノミを穿(うが)ち、土石はモッコで運び、沢には木を組み合わせた木橋を架橋し、急峻で足場の悪いところはロープで体を吊って作業を行った。
 現代のような施工機械もない中、32万円(現在の金額で約9億円)の工費を費やし、着工から1年半後の23(大正12)年12月に開通した。標高ゼロmの安房から640mの小杉谷まで、平均40‰の急勾配である。途中、24の橋梁と16のトンネルがある。
 開通後は、事業個所の移動に伴い各方面に延伸され、最盛期には軌道総延長が約26㎞に及んだ。53(昭和28)年には、木橋から鉄橋への架け替えなどの施設更新も行われた。しかし、小杉谷周辺の伐採計画が終了し、66(昭和41)年5月には安房森林軌道の運材も終了した。
 小杉谷製品事業所は翌年に閉鎖。伐採地域が荒川地区や栗生地区に移り、それに伴い荒川地区まで安房林道が開通したことによりトラック輸送が有利になった。そのため、宮之浦・永田・栗生の軌道は昭和40年代半ばまでに廃止された。しかし、安房森林軌道だけは、一部の路線で新たな使命を担っている。
 安房森林軌道の苗畑跡~荒川間10.7㎞は、屋久島電工株式会社に払い下げられ、発電所やダムの維持管理専用軌道として利用されている。月1回の取水口、週1回の発電所の定期メンテナンスのために運行され、異常時にはすぐ対応できるような体制も整えられている。軌道補修を行いながら維持されている。
 荒川~小杉谷分岐~石塚間の本線4.5㎞は林野庁が所管しているが、小杉谷分岐から縄文杉方面に延びる支線6.0㎞は鹿児島県に貸し付けられ、登山道としても利用されている。登山道にあるトイレの屎(し)尿タンクの運搬や土埋木(どまいぼく)の運材は、有限会社愛林に委託されている。
 土埋木とは、自然倒木もしくは伐採された切株や林内に放置された屋久杉のことで、土がかぶり苔生(こけむ)しても腐朽していないため、高品質な工芸品材料として重宝されている。このように発電所の維持管理専用軌道、地場産業のための資材運材用軌道として活躍しているのである。

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