横浜市都市整備局が主催する「横浜・人・まち・デザイン賞」のまちなみ景観部門に長さ31.4mの道路橋『霞橋』が選ばれた。工事を手掛けた北日本機械(盛岡市)の鈴木敏夫関東支社長は「現役の橋として蘇らせる手伝いができたことは誇り」と振り返る。街のシンボルとして親しまれる橋は、現代の技術によって再生された鋼橋リユース事例のシンボルでもあった。
時計の針を、明治時代まで巻き戻す。霞橋の原形は1896年に竣工した日本鉄道土浦線(現・常磐線)の「隅田川橋梁」。支間長さ62.8mは、当時の鉄道橋では最大級規模であった。しかも複線式のプラットトラスという日本初の構造が採用され、英国から輸入する形で誕生した。だが、機関車荷重の増加によって32年後の1928年に撤去された。
横浜市鶴見区の新鶴見操車場に移設されたのは1929年。旧隅田川橋梁のプラットトラス2連と、1895年に竣工した東北本線の荒川橋梁の一部が組み合わされ、「江ヶ崎跨線橋」として生まれ変わったが、操車場が廃止されたことでまたしても解体され、2005年に横浜市と川崎市に無償で譲渡された。
横浜市では土木学会土木史研究委員会の要望を受け、保存に向けたプロジェクトチームを立ち上げ、再生の道を探ってきた。架け替えが決まっていた旧霞橋への転用が合意され、プロジェクトが動き出した。設計はオリエンタルコンサルタンツ、上部工の製作と架設を北日本機械が担当し、2013年3月に開通した。
JFEエンジニアリンググループの北日本機械は岩手県内の水門工事を中心に活動しているが、橋梁工事についても横浜を中心に数件の実績がある。鈴木氏は「歴史的な保存に携われる願ってもないチャンスと総力を挙げて取り組んできた」と強調する。100年以上もの時を経て受け継がれた部材は、決して良い状態ではなく、一つひとつを徹底的に調べるところから作業は始まった。
盛岡工場に部材を持ち寄り、丁寧に塗装を剥がしてから床に並べた。そもそも再利用対象の旧江ヶ崎跨線橋は2連構成で、1つが長さ62.8mにおよぶ。霞橋は長さ31.4mで設計されているため、使える部材を組み合わせれば対応できると判断したが、工場内に並べられた部材はところどころ抜けた状態。部材位置を変えざるを得ないものもあり、寸法誤差も生じた。
特に劣化が激しい支点部は新たな部材をつくる必要があった。もともと鉄道橋であったことから、床組みの造り替えも欠かせなかった。部材を接続するリベットも変更せざるを得なかった。当時の橋の面影と違和感がないように丸頭リベットを使うなど、再生に向けて細部までこだわり抜いた。
「部材には長い年月を物語るあばた(小さなくぼみ)に加え、英国メーカーの刻印も見られた。鋼材という素材の強さを改めて感じた」(鈴木氏)。日本鉄鋼連盟の調べによると、リユースされた橋梁は100橋近くに達する。鋼橋は解体がしやすく、損傷度合いも明確であり、リユースに対して補修や補強がしやすいことが背景にある。3度にわたって再生された霞橋は、まさに鋼橋リユースの代表的な事例とも言える。
霞橋のフォルムは、長さに比べて高さがある。鈴木氏は「通常のバランスではないところが逆に意匠性を高めた」と感じている。2年に1回のペースで実施されている同賞のまちなみ景観部門には110件の応募があり、霞橋を含む7件が受賞した。100年以上もの歴史を経て、現代の都市景観におけるシンボルとなった。
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時計の針を、明治時代まで巻き戻す。霞橋の原形は1896年に竣工した日本鉄道土浦線(現・常磐線)の「隅田川橋梁」。支間長さ62.8mは、当時の鉄道橋では最大級規模であった。しかも複線式のプラットトラスという日本初の構造が採用され、英国から輸入する形で誕生した。だが、機関車荷重の増加によって32年後の1928年に撤去された。
横浜市鶴見区の新鶴見操車場に移設されたのは1929年。旧隅田川橋梁のプラットトラス2連と、1895年に竣工した東北本線の荒川橋梁の一部が組み合わされ、「江ヶ崎跨線橋」として生まれ変わったが、操車場が廃止されたことでまたしても解体され、2005年に横浜市と川崎市に無償で譲渡された。
横浜市では土木学会土木史研究委員会の要望を受け、保存に向けたプロジェクトチームを立ち上げ、再生の道を探ってきた。架け替えが決まっていた旧霞橋への転用が合意され、プロジェクトが動き出した。設計はオリエンタルコンサルタンツ、上部工の製作と架設を北日本機械が担当し、2013年3月に開通した。
JFEエンジニアリンググループの北日本機械は岩手県内の水門工事を中心に活動しているが、橋梁工事についても横浜を中心に数件の実績がある。鈴木氏は「歴史的な保存に携われる願ってもないチャンスと総力を挙げて取り組んできた」と強調する。100年以上もの時を経て受け継がれた部材は、決して良い状態ではなく、一つひとつを徹底的に調べるところから作業は始まった。
北日本機械の盛岡工場では使える部材を吟味した |
特に劣化が激しい支点部は新たな部材をつくる必要があった。もともと鉄道橋であったことから、床組みの造り替えも欠かせなかった。部材を接続するリベットも変更せざるを得なかった。当時の橋の面影と違和感がないように丸頭リベットを使うなど、再生に向けて細部までこだわり抜いた。
「部材には長い年月を物語るあばた(小さなくぼみ)に加え、英国メーカーの刻印も見られた。鋼材という素材の強さを改めて感じた」(鈴木氏)。日本鉄鋼連盟の調べによると、リユースされた橋梁は100橋近くに達する。鋼橋は解体がしやすく、損傷度合いも明確であり、リユースに対して補修や補強がしやすいことが背景にある。3度にわたって再生された霞橋は、まさに鋼橋リユースの代表的な事例とも言える。
霞橋のフォルムは、長さに比べて高さがある。鈴木氏は「通常のバランスではないところが逆に意匠性を高めた」と感じている。2年に1回のペースで実施されている同賞のまちなみ景観部門には110件の応募があり、霞橋を含む7件が受賞した。100年以上もの歴史を経て、現代の都市景観におけるシンボルとなった。
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