大阪市内の中央に位置する船場地区には、江戸時代に建てられた適塾(*1)、芝川ビル(*2)などの近代建築から船場センタービル(*3)=写真=など日本万国博覧会開催に向けて建てられた1970年までの戦後建築、そしてバブル期から現在にかけて建てられた高層ビルといったさまざまな時代の建築がひしめき合っている。
景観の観点から見ると統一感がなく無秩序とも言えるが、歴史を積み重ねてきた大阪の幅広さとも取ることができる。例えば、木造和風建築で重要文化財の小西家住宅(*4)の隣に54階建てのタワーマンションが建っている。こんな滅茶苦茶な景観は通常はありえない。東京にも古い建築から最新のものまであるが、歩いて回ることができる範囲に博物館のごとく各時代の建築物が普通に軒を並べ、現役で使用されている様は珍しい光景ではないだろうか。
小西家住宅 |
無秩序なまちなみの形成はもちろん賞賛すべきことではないが、昔のまちなみを尊重する京都、奈良とはまた違った街の面白さとも言え、そこから大阪という都市に固有の魅力を導き出すことも可能ではないだろうか。
(解説:高岡 伸一氏)
*1 適塾(大阪市中央区北浜3)=1792年の大火後に建てられた町屋を蘭学者・医者の緒方洪庵が買い取り、1838年に開いた蘭学私塾。正式名称は適々斎塾。緒方による買い取り前は貸し商家で、典型的な京阪商家建築のディテールを備えている。設計者は不明。
*2 芝川ビル(同伏見町3)=豪商芝川家の自社ビルとして1927年に完成。1929年から1943年まで花嫁学校として使用。現在はテナントビルとなっている。本間乙彦が設計を担当。建設当時のオーナー・芝川又四郎は片岡安のスピーチを参考に、それまでの木造から鉄筋コンクリート造に建て替えることを決意したという。
*3 船場センタービル(同船場中央1ほか)=日本万国博覧会の開催に向けて急ピッチで進められた市内東西を貫く幹線道路「中央大通」の整備により立ち退きとなった繊維問屋の移転先として道路の中央に分離帯のように立てられた商業ビルで、1970年完成。道路に並行して10棟並んでおり、東西の延長は計約1㎞にもわたる。地下鉄や高速道路と合体した特異な建物になっている。設計は日建設計と大建設計が担当。
*4 小西家住宅(同道修町1)=合成接着剤「ボンド」で有名なコニシが小西屋時代の1903年に建てた表屋造りの木造商家。現在も関連会社の事務所として使用している。設計者は不明。
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