2015/06/06

【日本の土木遺産】小樽港外洋防波堤 最新技術を駆使した2人の日本人築港所長

小樽築港駅前の臨港公園に設けられた観覧車からは、眼下に茅柴(かやしば)岬を背にした小樽港の全容が一望できる。そして北防波堤、島防波堤、南防波堤と大きく3つに分かれた総延長約3.5㎞、幅約7mの外洋防波堤は、北側の茅柴岬の付け根付近から南側の平磯(ひらいそ)岬方向に一直線に横たわり、箱庭のように見える港域と外海を見事に遮っている。また、日本海側にあることで小樽港の干満差は30-40cmと小さく、防波堤は海水面からいつも約2.5mの高さがある。この構造物が100年も前に築かれた事実に改めて感心する。

 小樽港外洋防波堤の基本部分は、明治中期から大正にかけて完成した。第1期工事は、1897-1908(明治30-41)年にかけて行われた。当時、札幌農学校教授だった廣井勇が初代小樽築港事務所長として赴任、勇の陣頭指揮により北防波堤1289mが築造された。
 第2期工事は1908-1921(明治41-大正10)年にかけて行われた。この工事で陣頭指揮に当たったのは、2代目小樽築港事務所長の伊藤長右衛門であった。そして、南防波堤912mと島防波堤915mが新たに築造されるとともに、北防波堤も419m延伸された。
 当時、日本の近代港湾整備の先駆事例であった横浜築港は、英国人技師パーマーの陣頭指揮によって進められていた。それでもコンクリートブロックに亀裂や崩壊が発生しており、港湾整備事業には非常に高い技術が必要であった。
 こうした時代にもかかわらず、小樽港外洋防波堤の建設は、計画・設計から施工までが日本人の手で推し進められた。このことは、当時の日本の土木技術者に大いなる自信や希望を与えたとともに、その後の土木技術発展に大きく寄与したことは間違いない。
 船で北防波堤に近づくと、防波堤の水際付近に、約70度の傾斜で整然と並んでいるコンクリート構造体を見ることができる。日本で初めて採用したスローピングブロックシステム(方塊傾斜積工法)により築かれた堤体が、100年間鎮座する姿である。これは19世紀末期のヨーロッパで用いられていた最新技術である。コンクリートブロックを斜め積みにすることで、重心をずらしてブロック相互に支持力を発生させ、水平積みの場合と比較して堤体の安定向上を図り、波力による崩壊・脱落などのリスクを軽減している。
 北防波堤の始まりから1㎞先では、傾斜して整然と並んでいたブロックの姿が一転し、約15mの間隔で垂直の継目のある構造へと変化する。外洋防波堤の中央に位置する島防波堤もほぼ同一の構造である。
 第2期工事で大規模防波堤工事の技術発展を予見した長右衛門が、島防波堤と北防波堤の延伸部にさらに新しい技術であるケーソン工法を採用した結果である。そして、1911(明治44)年には軍艦の進水式から発案したといわれる斜路式ヤードを港内に建設し、1913(大正2)年には初めてケーソンが沈められた。
 当時の小樽港は、不凍港という利点はあったが、冬の厳しい季節風が吹くと湾内に大波が押し寄せ、荷役が不可能になった。さらには、船や貨物、沿岸家屋までが被害を受ける状況でもあった。これを打開するためには、港の入口に外洋防波堤を築造して、日本海の荒波を遮る必要があったのである。
 最果ての蝦夷地において、当時の最新技術を駆使して進められた小樽築港プロジェクトには、日本が富国強兵政策を推し進め近代国家に発展するための、時代の要請があったのである。
 (建設コンサルタンツ協会 塚本敏行)
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