大阪府建築士事務所協会(佐野吉彦会長)は10日、大阪市中央区の大阪歴史博物館で創立40周年記念イベント「今語られる大阪城天守閣平成の大改修の秘話」を開いた。関係者ら約140人が参加した。
あいさつする佐野吉彦会長 |
冒頭、佐野会長は「大阪城や歴史博物館のある上町台地は古代から歴史の舞台であり続けてきたまちであり、建築の歴史という壮大なドラマの舞台でもあった。ご来場の皆さんにはぜひこの歴史を学んで未来に向けた知恵を積み上げていただき、一緒に素敵な大阪をつくっていこう」とあいさつした。
第1部は北川央大阪城天守閣館長と昭和の再建、平成の大改修の施工を担当した大林組の三浦憲大阪本店建築事業部アフターケア部長、平成の大改修で各種調査と設計を担当した東畑建築事務所の近藤一雄常務執行役員構造統括をパネリストに迎えてパネルディスカッションした。
北川館長は、豊臣秀吉による築城から落城、徳川幕府による再建と再落城・消失、昭和の再建までの歴史を解説し「昭和の再建後しばらくまで、現在も残る石垣は秀吉が築城した時のものと思われていた。1959年に実施した大坂城総合学術調査で城の地下7mにおいて古い石垣が発見され、今の石垣は徳川大坂城のもので、秀吉大坂城を埋めた上につくられていたということが分かった」と話した。
関係者ら140人が参加 |
三浦部長は昭和の再建(31年)時の大林組の仕事ぶりを紹介し「当時の大阪城公園は陸軍の管轄で、管理が非常に厳しく難工事だったようだ。資材搬入で大手門が使えず、堀にワイヤーを渡してケーブルで搬入したという記録が残っている」と説明した。続いて近藤常務は、平成の大改修(97年)について、「調査で銅瓦の腐食やコンクリート・鉄筋の劣化が確認され、その部分の補強が中心となった。また、徳川大坂城時代の石垣が不安定なことも分かり、荷重が掛けられないため苦労した覚えがある」と振り返った。
最後に北川館長は「これからも人々に親しまれる大阪のシンボルとして耀き続けてほしい」と述べた。
第2部では、北川館長と元OSK日本歌劇団トップスターの桜花昇ぼるさんによるトークショーとライブも行った。
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